事務所の顧問先様に「お知らせ」を発行しています。
冒頭の私の雑多な所感を引用します。
お知らせNO.135
令和4年8月5日 税理士 冨岡弘文
税理士会の支部や本会(東京地方税理士会)の役員は、部長職などを10年間務めた後に引退しています。
しかし、税理士会支部の活動で部員や講師として税理士業界や地域への貢献活動は、変わらず続けています。
地元の税理士仲間には大先輩もいて、17年前に亡くなった私の父が特に親しくしていた方には、私も励まして頂きました。
あるとき私より一回り年上の友人税理士から、あの先生は子供の頃に長崎で被爆されたのだが、一度、きちんとお話を聞かせて頂きたいのだと聞き、このことがずっと気になっていました。
私は、税理士会で「支部報」の担当をしていて、この先生の被爆体験を聞く催しを行うことを思いつきました。
多くの方が集まって下さり、私が聞き手となって当時の体験を語って頂く事ができました。
テレビを通じて、戦争中の出来事や辛い体験を見たり聞いたりすることはあります。
現に、ウクライナでは今も悲劇が起きています。
しかし、日本の戦争を実際に体験した方から、辛い話を直接聞く機会はこれまでありませんでした。
私が生まれる、たった15年前の出来事であるにもかかわらず、です。
このたび、直接に原爆を体験した方、しかも身近な方のお話を聞く会を開催できたのは、何か一つの使命を果たせたような思いでした。
当時14歳だったこの方は、学校の授業の代わりに部品工場で働いていたそうです。
8月9日、近所の山で横穴の防空壕を掘っていて、中でのんびり弁当を食べていた時に、空が光りました。
横穴の上で遊んでいた友人たちが落ちてきて、見ると皮膚がただれ落ち、その後皆、一口の水を飲んで死んでいきました。
自分はかすり傷ひとつ無かったのに。
その後の人生で、家庭を築き、税理士業界や社会に多大な貢献をされました。
現在は92歳で、頭脳明晰なこの方の14歳の身の上に起こった出来事、その青春時代には、他人に語れるものではなかったと想像します。
原爆の日の事、その後に街中の遺体を、素手で運ぶ手伝いをさせられたことなど、実は、なるべく思い出したくないのだと仰っていました。
身近な方の話は現実味があり、心を揺さぶられました。
我々は日々、悲劇の報道に接していますが、我がことに置き換えられる想像力を失わないようにしたいものだと思います。