事務所の顧問先様へ「お知らせ」を発行しています。
冒頭の私の雑多な所感を引用します。
令和3年7月5日 「お知らせ」NO.123 税理士冨岡弘文
東京オリンピックの開会式まであと僅かですが、まったく実感がありません。
海外では既にワクチンが行き渡って「マスク不要宣言」をした都市の映像を目にします。
一方で、去年の3月に「人類が新型コロナに打ち勝った証として五輪を開催する」と世界に向けて宣言した国でワクチン接種が遅れているというのは、一体どのような目標を立てて取組んできたのでしょうか?
当初に大失敗をしたイギリスでは、政府が民間企業の力を借りて、世界の主要製薬会社に対して開発費を支援し、見返りに開発後の優先支給を取り付ける戦略を立てました。
ちょうどその頃日本では「アベノマスク」が数百億円の税金を使って郵便配達されていました。
成功が確約されない研究費支援はリスクですが、リスクを取らないと成果は得られません。
国民にリスクと成果を論理的に説明できないので、国民の歓心を得ようと焦って小手先の政策に陥り、結果的に不興を買う。税制を見ていても同様の小手先対応を感じます。
「緩く、バラバラ、呑気」。
日本の危機管理体制を批評する記事を見ました。
憲法に私権を制限する緊急事態条項が無い事から、法律ではなく日本人の同調圧力に頼って「お願い」で対応するしかないのがリスク対応の緩さの一因。
一方で昭和世代を見回すと、社会に対してネガティブな感想しか持てなかったり、やたらに怖がったり、思い込みで発言をする人たちを多く目にします。
国家への不信感が、国の危機管理を骨抜きにしているのでしょうか?
偏った報道がこれを増長しているのかもしれません。
そもそも事故や失敗はニュースですが、うまく行っていることはニュースにならないものなのです。
首相と都知事がやり合っている様子は子供じみていますし、省庁ごとにバラバラな取り組みが目に余ります。
政治家の呑気ぶりは、そもそも最悪の事態を想定しようとしないところから起きています。
後手後手になるのは、失敗への非難を恐れる気持ちが勝っているからなのでしょう。
様々な統計数値を見ると世の中は格段に進歩して良くなっています。
しかし、危機管理についてはもっと真剣に取り組むべきであった。
危機はコロナウイルスだけではない筈です。